クコの実の歴史と食歴

記録に残る歴史が証明です!

クコの実は古来より民間薬として重宝されてきた食歴の長さが特長の一つです。日差しの強い産地で、人々の肌を強い紫外線から守ってきたのはクコだとも言われています。実際に産地の人々は90歳になったご老人でも、艶々した肌でハッキリと自分の言葉で話し、自分の足で立って、自転車に乗ることも日常的です。そして、古くから素晴らしい栄養とパワーが漢方の世界活き、クコは必要不可欠な存在だったことが、かつての皇帝や要人たちが服してきた多くのものにクコが使用されていることからも分かります。
動物ではなく人間そのものが食し、証明してきたものなのです。まさに自然界が育んだ大スターなのです。そのクコのパワーを象徴する諺も残されています。
●「旅に出る夫にはクコを食べさせるな」妻が夫の浮気を心配するほどクコの実には元気を高めるパワーがあったからです。
●旦那が飲むと女房が耐えられない。女房が飲むと旦那が耐えられない。二人で飲むとベッドが耐えられない。それほど、人々の体を元気にしてくれたクコのパワーが伝わってきます。
●「男性のガソリン・女性のエステ」とも呼ばれるクコ。体の中からパワーがあふれるだけでなく、体の中から美しくなることで、「飲むエステ」との異名も持っています。

【美の歴史】世界3大美女の一人『楊貴妃』の美の秘訣にクコの実を愛食していたことが記録されています。楊貴妃だけではなく、西太后や歴史的要人の美しさと健やかさの立役者として、クコ(枸杞)は多くの著書や薬典に登場しています。クコの実のお風呂は体が温まることから日本でも平安時代から利用されていた記述があり、クコ(枸杞)風呂に入ると肌がつやつやして百病にかからないという言葉が残されています。楊貴妃も浴用にクコの実等の薬草を使っていたと言われています。

【アンチエイジングの歴史】上野の寛永寺創建者の天海僧正は徳川家康が帰依した僧で、クコ(枸杞)の愛用者でした。あるとき3代将軍家光が「御坊は祖父の時代からお元気だったそうだが、何か良い秘訣があるのですか」と尋ねたところ、「自分はクコの実の垂れ下がった井戸の水を飲んでいます」と答えたそうです。また、奈良県橿原市にある久米寺は久米仙人ゆかりの枸杞(くこ)寺として知られています。久米仙人は聖武天皇より賜った田地を久米の住人に与え枸杞(くこ)の栽培を教え、クコ茶、クコ酒、クコ飯、クコ団子、クコ餅、クコ和え、などの利用法を教え久米仙人と呼ばれました。そして186歳の長寿となり入滅の前に自身の像を樫の木に刻み、これに自身の歯と頭髪を植え付けて「久米仙人肉付き像」を残したと言われています。

【薬草としての歴史】
日本でクコの実について書かれたのは奈良時代が始まりと言われています。「本草和名」という本に記されており、延喜5年(905年)には醍醐天皇の勅によって編纂にかかり延長5年(927年)に完成した「延喜式」の典薬寮の項に薬草名としてクコ(枸杞)が記されています。また桓武天皇都を平安に定めた時、典薬院を設け枸杞園をつかさどった記録が残されています。神農本草経、本草網目、中国薬用植物誌、台湾薬用植物誌、本草和解、大和本草、和漢薬考、和漢生薬学、薬用植物大辞典等、日本や中国、台湾等で多くの書物が残されています。(以上本ページの文献参照:クコで健康になる/画像:和漢薬の事典より)

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